前回はスリランカに行くことになった経緯を綴りました。
今度はその前段階である、
1年間のアメリカ留学について書きたいと思います。
今では英語に苦を感じにくくなった僕ですが、
昔は英語が大の苦手でした。
そんな中、スポーツの職に就きたい僕は、
スポーツと言えばアメリカだろ!
という安易な発想から、
アメリカに行くことになりました。
アメリカへ本格的にな留学を考え始めた時、
「海外行ったことないのに、
いきなり一年行くのはリスキーじゃないか?」
という不安が募り始めました。
そこで、航空券片手に
1人でニューヨーク観光と
アメリカのカレッジスポーツで
強豪な大学があるカンザス行くことにしました。
当時19才です。
10日間の旅でしたが、
最高な旅となりました。
まずニューヨークでは、
これがアメリカか、、、、、
と思わせるエンターテイメントの数々
宿泊はネットで問い合わせた
ホームステイでした。
このホームステイが大当たりで、
観光の仕方からアメリカについて教えてくれ、
本当に何から何までお世話になりました。
ここでまず一期一会の大切さを身につけます。
そしてカンザスに向かいます。
向こうの大学スポーツは
規模が違いました。
アメリカではアメフトが有名ですが、
施設の大きさは莫大です。
すげえええええええええ
となった僕はアメリカの大学へ
編入することを強く意識します。
半年後、
僕は日本の大学を休学する選択をし、
アメリカのサウスダコタ州の
South Dakota State University
へ編入を目指し、留学します。
当時僕はスポーツトレーナーを目指して
留学をしました。
サウスダコタで有名なのは
これです。笑
ホントど田舎なので、
街の中心にヨーカドーぐらいの
大きさのモールがあるだけです。
そして冬はマイナス20度を下回ります。
そんな場所に行った僕は、
ここで一年ほど過ごすわけですが、
日本人もほとんどいません。
英語の上達には格好の場所でした。
遊ぶときには、
よくアフリカ系の黒人と
サッカーをしていました。
今でも連絡をとるぐらい仲がいいのですが、
そこで運命的な出来事がおきます。
ある日サッカーをしていた時、
黒人の子がボールを追いかけて
走っていました。
その時の走り方が
異常に汚かったのです。
僕はそれまで
黒人=足が速い(綺麗)
というある種の偏見を持っており、
驚きを隠せませんでした。
なぜ君は走り方が汚いんだ?
と聞いたら、
走り方なんて習ったことないわ!!
と言われました。
なるほど、、、、
そういう教育がないのか、、、、
と感じた僕は、
途上国の教育に興味を持ち始めました。
そうして月日が流れていき、
英語も上達が見え始め、
いよいよアメリカの大学に編入するために残るか
日本の大学に戻るか決断する時期がきました。
いろんな人に相談しました。
そこで出した決断は、
日本に戻るということでした。
僕は発展途上国のスポーツの環境が
見たかったのです。
別に後でもいいじゃないか!
とか言われそうですが、
後回しにしたら絶対一生行かないだろう
と考えました。
鉄は熱いうちにです。笑
僕は今でもこの選択が正しいかどうか
わかりませんが、今は失敗だと思っています。
僕はアメリカでの勉強環境は素晴らしいと
感じていました。
アメリカに残って親のすねをかじって
アメリカの大学を卒業することこそが
僕の中でのサクセスロードでした。
そのサクセスロードは
高校二年生の頃からやんわり考えていたので、
結構思い入れが強いです。
だから僕は
今失敗の道を歩んでいる真っ只中です。
でもそこで大事なのは、
失敗の道をいかに成功しようと
努力できるかということ。
僕はそれを信じて今まで生きています。
アメリカの日々に負けないぐらい
充実した生活を帰国後もしてやる!!!
という意気込みの元、
日本に帰国しました。
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